飲み友がいない=友達いない?友達の定義について徹底的に考えてみた

生活
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こんにちは、ブロガーのMIYUです。Twitter

私の周りでこんなことを言っている人がいました。

友達がいないと嘆く人

自分は、プライベートで友達がいない悲しいやつだ。
飲みに行く友達も、遊びに行く友達もいないから友達がいる人は羨ましい。

でもその人は職場では後輩から慕われ、上司からも面白いやつだと思われている人気者に見えます。

そこでふと、「友達の定義って何だろう」と疑問が浮かんだので、自分なりに考えてみました。

先に結論から伝えると「友達」にはっきりとした概念や定義はありません。

筆者が思うに、お互いが求めるモノの利害の一致した状態をいわゆる「友達と呼ぶのではないかと思います。※あくまで個人的な意見です。

本記事では、その理由を詳しく説明します。

✅本記事の内容

  • 「友達」とは?調べた結果
  • 筆者の友達遍歴を考えてみた
✅記事を書いている人

筆者の交友関係は、高校生まで広く浅くタイプで、大学生(上京)→社会人になるにつれておひとり様がノーマルになりました。映画や買い物、美術館などソロ活も楽しめます。

現在の交友関係は0ではありませんが、かなり少ない方です。

ひとり時間は自分磨きのチャンスです。

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「友達」とは?調べた結果

ネットで調べてみると、「哲学的な思考」にたどり着くことがわかりました。

大昔から考えられているのにいまだに答えが出ていない状態とは…なかなか難題のようです。

下記に調べた結果をざっくりとまとめてみました。

辞書的な概念

友情(ゆうじょう)は、共感信頼の情を抱き合って互いを肯定し合う人間関係、もしくはそういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛。しかし、それはすべての友達にあるものではなく、自己犠牲ができるほどの友達関係の中に存在する。

「友情」という概念は、通例、近親者ではない人間同士のものを指して言う。しかし、今日では逆に家族に対してこれを使う例も出てきた。

引用:Wikipedia

ご覧の通り、概念や定義は時代とともに変化するほど曖昧なものであることがわかります。

友達が多いか、少ないか。

という議論も「友達の定義」が曖昧である以上、空虚なものかもしれません。

万学の祖アリストテレス曰く…

万学の祖アリストテレスは、友情は与えることと受け取ることを学ぶ場所であると考えていました。

「友達がいなければ、誰も生きたいとは思いません。他のものすべてを持っていたとしてもです。」
-アリストテレス-

アリストテレス曰く、友情には3つのタイプがあるそうです。

▼友情の3タイプ

  1. 自己本位の友情
  2. 純粋な楽しみのための友情
  3. 完璧な友情

それぞれについて説明します。

参考:アリストテレスによる3つのタイプの友情

1. 自己本位の友情

何か自分にとって利益やメリットを得るための友情です。

例えば、

  • サポート
  • 信頼
  • 情報収集、学び 
  • 孤独を紛らわすため など

少し相手を見下した関係のような気がしますが、お互いが同じ目的なら特に問題はないでしょう。

しかし中には、社会的地位、金銭的利益などを自分だけ得するために相手をだまして操作する人もいるので注意が必要です。

2. 純粋な楽しみのための友情

2つ目は『楽しい時間を共に過ごしたい』という友情です。

わかりやすい例が、飲み会に集まった人たちでしょうか。

ただし、この関係は「快楽主義者の集まり」なので、本当の悩みやトラブルに陥ってサポートが必要になった時、この偽りの友情は消えていきます

3. 完璧な友情

アリストテレスの3つの友情タイプの最後は、一番理想的である完璧な友情です。

2のような「楽しみ」という実用的な理由を越えた友情であり、そのままの相手の価値を認められる友情です。

素晴らしい時間を共に過ごし、人生を共有し、必要な時に肩を貸してあげられる存在になることがすべてです。

“ソウルメイト”“生涯の伴侶”に近いのではないでしょうか?

しかし、出会えるのはとても稀です。

筆者の友達遍歴を考えてみた

あくまでも筆者の意見ですが、冒頭で「友達」に概念などはなく、お互いが求めるのモノの利害の一致している関係のことなのでは、と見解を述べました。

その理由は、筆者自身、これまでの成長とともに「友達」に該当するような関係が変化してきたからです。一度は0になったこともありました。

しかしそのまま0ではなく、自分の殻を破り一皮むけるごとに、新たな出会いがあり今に至ります。

具体的に、筆者の友達遍歴を振りかえってみます。

社交的だったころ(学生まで)

  • 保育園児:組で一番イケイケの女の子グループに所属
  • 小学生:ふらふら色んなグループに顔が利くタイプ
  • 中学校:部活というグループに所属
  • 高校生:いつも賑やかで誰かと笑い合っているきゃぴきゃぴな女子高生という感じ
はたから見ると、社交的で「友人も多そう」と思われますが、前述したアリストテレスの友情3タイプであれば、2. 純粋な楽しみのための友情関係であることがわかります。

実際に、本音で何でも話せる親友のような存在はたった1人でした。

こうして振り返ると筆者の友好関係は、

  • 保育園…一緒に遊んで楽しむため
  • 中学生…全国大会を目指して供に、喜怒哀楽を共有するため
  • 高校…とにかくバカやって笑うため
そんな一刻の友情が大半を占めていたのだと思います。そのため筆者が大学進学で地元を離れてからは付き合いは自然となくなりました。
しかし、これらの友情に否定的ではなく、その時の自分が求めた「楽しむこと」を共有してくれた周りの人たちにはとても感謝しています。
この先、交わることがなくても過去を振り返ったらみんなと笑い合った日々が思い出せるのは素敵なことだと思います。

非社交的、非リア充(社会人になってから)

筆者は大学生から社会人1年目くらいの間に、これまでの価値観が大きく変化していきます。

  • 田舎から上京という環境の変化
  • 親元を離れうことで精神的な自由を得る
  • 親友と絶交
  • 仲が良かった彼氏を振る

4つ目についてはこちらの記事で書いています。

価値観、思想、行動などが変わっていき、自分にとって「何がやりたいのか」を考えた結果、筆者は「知識欲」「経験欲」を満たすことが行動基準になりました。

これらは友達はいなくても一人で十分楽しめるため、筆者自身が友達を必要としなくなったのだと思います。

仕事でも社会人3年目に独立したので、会社の付き合いなどはありません。

これからの自分の人生のために勉強と経験を積み重ねるのが一番楽しいと感じる日々です。

つまり、「友達がいない=寂しい、不幸」では絶対にないということです

まとめ

本記事をまとめると、『友達』に概念はなく、自分が求めるのものしだい。人数なんて無意味ということです。

学生のように、「楽しい時間」を共有する相手を求めるなら部活やサークルに入ればそういった相手はすぐにできます。人数も多くなるでしょう。

でも大人になると、お金や人間関係、生活、仕事などシビアに考えなければならないことが増えます。

それを共有し、かつ価値観の合う人を探そうと思うと、なかなか難しい!

なので、「本物の友達」という人数は0が普通だと思います。

1人いればラッキーくらいです。

  • 楽しいを共有したい
  • 美味しいお酒を飲みに行きたい
  • 人生について話し合いたい
  • ガールズトークがしたい
  • 趣味について共有したい
  • 同類同士、なぐさめ合いたい
  • ○○について勉強したい・教えたい

「友達」といっても求めるもので様々な友情があるので、どれが正解でもないし、人数で他人と比べる意味もありません。

冒頭に登場した「友達がいないと嘆く人」が求めているのは「完璧な友情」なんでしょう。

だから、今現れていなくても全然問題はなく、むしろその信念を大事に成長していけばきっと出会えると思います。

自分が成長していく中で、求める相手が変わってきたらそっとフェードアウトしていくのが自分と相手のために賢明だと思います。

今のあなたはどんな人を求めますか?

ではまた!

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