【ひとりごとブログ】自分の誕生日が近づくと、気分が落ち込みます。

生活
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皆さんに聞きたいのですが、

“自分の誕生日って嬉しいですか?”

「嬉しいよ。」

と答えた人はこれまでの誕生日でみんなからお祝いしてもらったからでしょうね。

素直で素敵な人です。

私はというと…

他人の誕生日をお祝いするのは普通にできますが、

自分の誕生日はどうでもいいと思っています。

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私と誕生日

自分の生まれた日を他人に祝われても恥ずかしいだけです。

もっと明確にいえば、私は自分が生まれたことを恥じているのかもしれません

別に複雑な家庭でもなく、実家にいたときはケーキとか食べていました。

大人になってからは、恋人に祝ってもらったりしていたこともありました。

でも毎年毎年、『幸せ』を感じた誕生日はなかったです。

いい思い出はありません

だから誕生日に意味はない。

自分の誕生日はどうでもいい。と思っています。

8月6日 広島原爆の日

さらに、私の誕生日は8月7日。

その前日は広島原爆の日。

生と死を考えるイベントの後に、『私はなんで生きているのだろう』と考えてしまいます。

 

1945年8月6日。

その日、人が大量に死んだ。

身近な土地が、血の海になっていた。

どす黒い煙と肉の焼ける臭気。

遠くから泣き叫ぶ声も聞こえてくる。

 

実際に見たことはなくても、修学旅行で訪れたひめゆりの塔や、一人旅で訪れた原爆ドーム、社会の時間にみた当時のビデオで、むごい情景が目に浮かびます。

そんなことがあったのに、どうしてのうのうと生きている自分の誕生を祝えるのか?

私以外の他の人は生きる価値があるので、祝われて同然です。

祝われていない人がいたら、私が祝います。

でも何物にもなれず、何も成し遂げていない私自身を祝う意味はわかりません。

こじらせた、あまのじゃく

確かに私は一人で生きていません。

誰かとは関わりあって生きています。

でも、彼らに私は必要な存在ではないです。

ある意味、薄っぺらい関係です。

別にそれでいいです。

ただ、たったひとり私を肯定してくれる人がいてくれたらなと思います。

そんな人は、私がもっと成長しないと出会えないでしょう。

なので、今年もしれっと歳をとるだけです。

日常をたんたんとこなすだけ

明日、26歳になります。

ではまた!

 

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